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- 橋屋村(近世)とは
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橋屋村(近世) 江戸期~明治8年の村名橋谷とも書いた会津地方北西部,阿賀川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領大谷組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録で237石余,文化15年の村日記(県史10下)では214石余,「天保郷帳」213石余,「旧高旧領」214石余村名は,もとは熊野・八幡・富士など8社があったため八社村と称したが,のち橋屋村と改めたという化政期の家数22軒(新編会津)小名に東・西・南・中がある(会津鑑)神社は富士神社・第六天神社・山神社寺院は浄土宗聖徳山竜蔵寺明治4年の戸数22・人口118(若松県人員録)同8年井谷村ほか2か村と合併して三河村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」